2008−09シーズン終了後に現役引退を決めていたチェコ人MFパベル・ネドベドが、古巣であるラツィオからのオファーを検討しているという。
イタリアの『コリエレ・デッロ・スポルト』紙によると、ネドベドの代理人はラツィオのクラウディオ・ロティート会長から同選手に“大変興味深い”オファーが届いたことを認めたという。
同紙によると、オファーの内容は年俸100万ユーロ(約1億3400万円)と2シーズンの選手契約。さらに、その後はチーム幹部への就任も含まれているという。また、ネドベドの代理人は、ラツィオ以外からも同選手にオファーが届いていることを認めた上で、近いうちに結論を出すことを示唆した。
「ネドベドには世界中からオファーが届いている。ヨーロッパのクラブはもちろん、アラブや日本、米国からもだ。彼は2週間以内には結論を出すだろう」
8月に37歳になるネドベドは、1996年に母国のスパルタ・プラハからラツィオに移籍。その後2001年にユベントスに移籍し、08−09シーズン末まで同クラブでプレーした。03年にはバロンドール(欧州年間最優秀選手=当時)も獲得している。パベル・ネドベド(Pavel Nedved)
脅威のスタミナで中盤のすべてを支配する欧州最高峰のMF。そのプレースタイルは優雅とさえ言い難いが、ロボットとも表される正確でパワフルかつスピーディーな動きは実に効果的。ネドベドとマッチアップするプレーヤーは、なんのトリックも使われず力でねじ伏せられてしまうのだから、もはやしようがない。
パベル・ネドベドは1972年8月30日、当時のチェコスロバキアはヘップにプロサッカー選手の息子として生を受けた。その父の影響もありパベルはほどなくしてサッカーへとのめり込んでゆくこととなる。1991年には兵役を終えデュクラ・プラハへと入団。デビューシーズンから素晴らしい活躍を披露し、翌シーズンにはチェコ随一の名門スパルタ・プラハへと引き抜かれ国内最高の名手へと成長を遂げてゆく。そして迎えた1996年欧州選手権。ネドベドを始めとする優秀な若手選手が数多く集まったチェコ代表は並み居る強豪を下し、なんと決勝戦にまで進出。決勝ではドイツ代表FWオリバー・ビアホフの2ゴールの前に敗れ去り準優勝に終わったが、大会終了後の海外移籍への試金石とした。
1996年オフに数多くあったであろうオファーの中からラツィオを選択。イタリアの地で躍進を遂げる。移籍初年度よりレギュラーポジションを手中に収めると、1999/00シーズンにはクラブにとって念願だったスクデット獲得、更にはコパ・イタリア杯も制し2冠を達成。ラツィオの黄金期を支える。2001年にはチームの財政難もありユベントスへと移籍したが、ネドベドはジネディーヌ・ジダンの抜けた穴をまったく感じさせない働きを見せチームを更なる高みへと牽引。特に2002/03シーズンの活躍は驚異的と言う他なく、怪我人を多く抱えたチーム状態ながらほぼすべての試合で90分間を戦い抜き、勝負どころでは数多くの貴重なゴールをマーク。2シーズン連続でスクデット獲得を果たした。しかし同シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは決勝進出の原動力となりながらも累積警告で決勝戦には出場できず。ユベントスはミランの前にPK戦で敗れ去るという残念な結果に終わった。「彼が出場していれば結果は違ったものになっただろう」と数多くの人々が発したが、勝負事において「たられば」は禁句。しかしながら考えずにはいられないのもまた心情というものだ。それがパベル・ネドベドという偉大な存在であれば尚更であるコメント
ネドベドといえばやはり「チェコの大砲」 ミドルシュートは破壊力すごかったね
フリーキックのなんともいえない助走が好きでした。
最近見た雑誌でも運動量は全盛期と変わらない動きが出来ているみたいですが、試合後から次の試合までの体力の回復が遅くなっているといってまいした。
ユーべで引退かなぁと思っていたところでのこのニュース。
少しでも続けてもらえたらうれしいですね。
私もブログやっててハンドルネームは大好きな彼から決めたというほどネドベドは愛着のある人物なんで、現役続行してほしいです。まだまだトップクラスでやれるはずですからね。