沈黙を守っていた仲田本部長がこの日、初めて口を開いた。三沢さんと最後に会ったのは今月9日の静岡・沼津大会で、控室で「三沢引退」へ向けた具体的なプランを話し合ったという。
三沢さんは年内にも現役引退の意向を固め、第2の人生へ向けた起業計画も進められていた。“引退デー”については同本部長と真由美夫人(42)の2人が聞いていたそうだが、「いつかは言えない」とした。
だが、引退を決断しても、すぐにリングを去ることは許されなかった。3月に日本テレビの地上波放送が打ち切られるという厳しい台所事情も背景にあり、体にムチ打って“残り火”を燃やした。その矢先に惨事を招いてしまった。
28年間のリング生活は体をむしばみ、頸椎(けいつい)の損傷は慢性化。最近は肩、腰も悪化し、体力の限界を感じていたそうだ。同本部長は80年から全日本でリングアナウンサーを務め、翌年入団した三沢さんとは公私ともに深いきずなで結ばれ、ノアを興した盟友。今年8月で旗揚げ10年目を迎えるが、同本部長は「だれが悪いのかといったら自分。10年で辞めさせてあげる環境をつくれなかった。残念です」と遺影に語りかけた。
旗揚げ時からエースの小橋が両ひざ手術を繰り返し、腎臓がんにも侵された。“No.3”格の秋山にも持病があり、その分、三沢さんに負担がかかった。参謀役も打つ手がなく「もうちょっとと、無理をお願いした」と無念の思いを吐露。13日に広島から一報を聞いた際は「そんなことはない」と現実を受け入れられなかったが、翌朝、広島市内の病院に直行して無言の再会。「笑っている顔に見えた」と言う。
三沢さんは引退選手のことも考えての起業プランを練っていた。既に実行に移す段階にきていたそうで、本人は「引退ツアーとかはやらない」と断言し、実業に専念することを楽しみにしていたという。同本部長は「自分が必ず実現していきます」と、遺志を全うする考えを強調した。
過去の試合などをもう一度見て心に刻もうと思います。